インデックスとは、株価指標のことです。ニュースなどでよく耳にする「今日の株は高かった」という株とは株価指数を指します。
代表的なものは、以下の2つです。
- 東京証券取引所のプライム市場(旧第1部)のすべての銘柄の及びスタンダード市場の一部(旧第1部に上場していた銘柄)の動きを示すTOPIX(東証株価指数)
- 日本を代表する225銘柄で構成する日経平均株価です。
インデックス型ファンド
インデックス型ファンドとは、株価指数(インデックス)に連動する投資信託(ファンド)です。以上のTOPIX連動型と日経平均株価連動型の2つのタイプが主流です。
日経平均株価は構成銘柄を入れ替えるために、指数の性格が時代に応じて変化します。一方、TOPIXは新規に上場する銘柄以外には入れ替えがなく、指数の安定性があります。
近年の日本でインデックスが崇拝されている理由としては、以下のものがあります。
-
個別銘柄に投資することはリスクが大きい。
-
他のファンドに比べて基準価格の動きがわかりやすい。
株式市場は上昇や下落を繰り返しています。このため、購入時点での株価が最も安いかどうかはわかりません。今後、さらに安い時点があるかもしれません。株式の経験が豊富な人でも、株価が一番割安な銘柄を探すのは至難の業(わざ)です。
だから、インデックスに人気が出やすいです。しかし、個別銘柄に強い投資顧問で成功したという体験談や評判、感想がもし広まれば、そうした世論の趨勢に待ったがかかるかも知れません。
▲ ページの先頭に戻る
インデックス投資を経験した者として、初心者へのアドバイス(助言)は2つある。
生活防衛資金をたっぷり用意
まず、銘柄を選ぶ前に生活防衛資金をたっぷり用意すること。目安は2年分の生活費。もし1年間に400万円必要なら、800万円貯めるまで投資しないほうがいい。
貯まるのを待っていたら投資機会を逃す、年を取ってしまうと思うかもしれない。しかし、3カ月分や半年分の生活資金では心もとない。リストラされて次の仕事が決まるまでに10カ月かかった話もある。そのときに、1年分しか資金がなかったら、焦って不本意な仕事を選んでしまうかもしれない。2年分というのは生活防衛のためだけではない。下げ相場では、銘柄を持ち続け、積み立て続ける胆力が試されるのだが、その際の心の拠り所として必要なのだ。
自分のリスク許容度を知ること
もう1つは、自分のリスク許容度を知ること。性格、家族構成、年齢によって違う。1年で何%の下落、いくらまでの損に耐えられるか覚悟を決めてほしい。私は1年で30%減までなら我慢できる。相場の下落に耐えられず撤退し、ゲームオーバーとならないためにも、限界の範囲内でやることが大切。損に耐えられる金額として、自分が1年で貯金できる金額を目安にしてもいいだろう。
このリスク許容度を決めれば、株式、債券をどのような割合で持ったらいいのか、資産配分が決まってくる。したがって、最初の配分を間違わなければ、その中でどれを選んでも大差ないだろう。たとえば6割を株で持つとする。その6割の中で何を持つかはあまり関係がない。実は、全体の保有資産の中で、日本債券の組み入れ比率をどうするかのほうが、リターンやリスクへの影響は大きい。
残りの1割はアクティブファンド
私自身は、インデックス投資が9割、残りの1割はおつまみとして、アクティブファンドなどに投資している。インデックス投資は積み立てにすると何もやることはないし、面白くないかもしれない。
でも、私は投資で楽しみを追求していない。趣味や旅行、家族との生活を楽しんでいる。将来はある分野で社会貢献したいという希望を持っているので、うまくいけば、定年より1年でも2年でも早くリタイアしてその道に行きたいと考えている。
株式相場はランダムウォークで予測不能
つまり、あくまでも1年、2年の話であって、10年早くリタイアできるほど儲かる投資方法ではない。
よく相場予測を聞かれるが、上がるか下がるかわからない。株式相場はそれこそランダムウォークで予測不能だからこそ、淡々と積み立てることが大切だ。
インデックス投資を成功させるポイント
- 先に2年分の生活費を貯めておく。
- 自分が耐えられる損失を決める。
- 下げ相場でも淡々と積み立てる。
▲ ページの先頭に戻る
バブルが終わった後に証券子会社をつくった拓銀のアホぶり
それにしても、バブルが完全に終わった後、傘下に証券会社(子会社)をつくった「北海道拓殖銀行」(拓銀)のアホぶりには呆(あき)れるばかりだ。
会社名は「北海道拓殖証券」
北海道拓殖銀行(拓銀)が傘下の証券会社をつくったのは、1995年2月だった。
営業開始は1995年4月14日。
会社名は「北海道拓殖証券」だった。
あえて略すとすれば「北拓証券」あるいは「拓殖証券」になる。
「拓銀証券」「たくぎん証券」を希望
「北海道拓殖証券」という会社名については当初、拓銀内部では「拓銀証券」または「たくぎん証券」を望む声が強かった。しかし、大蔵省が「『銀』の字が入った名前は銀行色が強い」と難色を示したため、北海道拓殖証券と命名することにした。
都市銀行系で最後発
都市銀行系の証券子会社では最後発での開業となった。
当社は人員55人だった。規模は小さかった。
組織面も簡潔でフラットな体制にした。
初代社長は稲田重年氏
初代社長は、拓銀の筆頭常務である稲田重年氏(当時57歳)が就任した。
稲田氏は当時の拓銀で、金融法人部、資金証券部、証券市場部などを担当していた。証券業務に精通している点が買われた。
東京大学(経済部)卒
稲田氏は愛媛県出身。
1960年、東京大学(経済部)卒業。
同年、北海道拓殖銀行入行。
ロンドン支店長などを歴任
1984年ロンドン支店長、 1989年取締役、1992年常務。
北海道電力債の値付け業務を目指す
北海道電力債をめぐり、拓銀の受託実績をもとに、引き受けはもちろん、マーケットメーク(値付け業務)も積極的に手がけていきたいという意向を持っていた。
海外起債の提案も
拓銀は当時、海外に4つの証券関連の現地法人がった。
ロンドン、チューリヒ、ブリュッセル、香港である。
これらの拠点を生かし、国内企業に対して海外起債を提案することも目指していた。
▲ ページの先頭に戻る